2007年 10月 28日 ( 2 )

小さな恋のメロディ

日差し暖かい、のどかな日曜のお昼。

少し混みあった電車の中。

一人の少女の目が、嬉しそうに細い線を引いた。



視線の先には、彼女よりほんの少し年上と目される少年がいた。

彼女は今度は目をしっかりと開き、自分の存在を主張するかのように彼を見つめる…




車両が減速し、立ち上がった彼。


それと同時に、声をかけたかったのだろうか…ふいに彼女の右手が宙に浮いた。


…しかしそれは結局行き場をなくし、やわらかそうな自身の髪に触れた。



少年は自分に降り掛かる甘い視線に気付くこともなく、
次の停車駅でそのまま、彼女の前を擦り抜けていった。


彼が降りた後も彼女は、ドアが閉まるまでずっと、その背中を見つめていたというのに。




電車が発車した後は、ただただ窓の外を見つめていた彼女。


ほんの一瞬流れた小さな恋のメロディ。

それに合わせて彼女が口ずさむ勇気を持てていれば、
もしかしたら響き合う時を迎えられたのかもしれない。





なんちゃって。


少女の推定年令は2歳。
少年は3・4歳でしょうか。

ベビーカーに乗る彼女の視線と動きに合わせ、
そんなアテレコを楽しんだ平和な日曜のお昼でした(笑)



私もたいがい妄想族だな(笑)

でもホントにそんな風に見えたんだよ!!



さーて遊んでないでレコーディングだっ☆
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by atome0624 | 2007-10-28 12:31 | つれづれまいにち。

easyに進む、進むべきでないもの

最近よく思うことがあるんだけど…

ここ数年の流行ですか?
人が死ぬ物語。


○○万人に1人の難病系、末期ガン系、白血病系、自殺系、戦争系…


人が死ぬことを最終地点に置いて展開される物語。

そんなものが多くないですか?



亡くなった人が伝えたかったものを映像化するってこと。
それ自体は悪いことだとは言わないよ。

あまり知られていない病気を知ってもらうキッカケになったり、
まわりにいる大切な人の存在を再確認するキッカケになったり、

そういうこともあると思うもんね。



ただ、それがどんどん波になっていって、
今、流行みたいに人が死ぬ物語が書かれてる気がする。


それが苦しいだけ。


発信する側が、
「人が死ぬ話は売れる」って思ってる気がする。


『世界の中心で愛を叫ぶ』があって、
『1リットルの涙』があって、
『恋空』に続く流れなのかなー??

よくわかんない。


フィクションもノンフィクションもあるけど、
どこまで本当なのかはあんまり重要な話じゃない。


でも「売れる話」を売るのは当たり前なんだよね。。。
ビジネスってそういうことでしょ??

そういうトコ割り切らないといけない部分ってあるんだろうけど。


でも私は経営を学んでる人でも経営に関わっている人でもなんでもないし、
そういう話をしたいわけじゃないから…
その辺のコトは今はあえて触れないでおく。




じゃあなんで人が死ぬ話が売れるんだろう?

ある人が言ってた。
「誰にも起こりうる大切な人の死っていう悲しい出来事を疑似体験するため」

うーん、一理あるような気がする。。。



でも私が思うには、だ。

「人が死ぬことって悲しいね。でも周りの人の愛情が素晴らしいね。
そして私は元気。あーよかった。」って感じ??


自分が恵まれてることや、
周りに愛されていることを確認する感じ??


でもそれって本当に人の死を通してしか描けないのかな…




むしろ私は。
大切な人を亡くしてから、
人が死ぬ映画やドラマを観られなくなりました。


人が死ぬシーンは泣いてしまうから。
感動して、とかじゃないよ。


恐いの。悲しいの。


人が死ぬって悲しくて怖い事だって知ってしまったから、
物語で疑似体験すらできなくなってしまった。
それが「自分に関係ない人の死」だったとしても。



だから私は今流行ってる
「象の背中」も「恋空」も観られないな、絶対。

人の死を想像するだけで泣いてしまう私には無理な話です。


いや、何度も言うけど作品自体がダメとかそういう話じゃないよ。


ただ…今、いろいろなことが、
人の死を中心にして考えすぎな気がして苦しいだけなんだよ。

こぞって人が死ぬ話を発信し続ける今の風潮が苦しいだけなんだ。



右を見ても左を見ても、
人が死ぬことが大前提で進む話がたくさん。


「何かを伝えよう。広げよう。」ってものならまだしも…
「感動させよう。泣かせよう。」って意図で作られているものもあるよね。


ここ数年強くそう感じます。



人の死が簡単に映像化できて、
簡単に伝わっていく今の時代。


言い方は悪いけど、
“死”って色々なものを簡単にドラマチックにしてくれるからね。

“死”が簡単に表現の道具になってく事実。



そうやって簡単に、
人の死に慣れてしまう人が出ないことを祈りたいです。








人が死ななくても、

自分や他人が病気にならなくても、

周りの人の大切さや、

自分の恵まれた環境や、

たくさんの愛情に気付けるような人でありたい。




確かに、死から教えてもらったこともあるけれども。




月がきれいに見えることが幸せだと思えたり、

風の匂いで季節を感じることが出来たり、

嬉しいとき一緒に笑いあえる相手が居ることを忘れない人でありたい。





そして、そういうものを作れるようになれたらいいな。
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by atome0624 | 2007-10-28 04:55 | つれづれまいにち。